カリスマも木から…
2015-07-28
カリスマも木から…
これはだいぶ以前に人から聞いた。
ヴィルヘルム・ケンプというピアニストがベートーベンのピアノ曲の演奏ではそれは有名であることはご存じの方も多いであろうが、ケンプが晩年に来日したリサイタルでの話。上野の東京文化会館でベートーベンの曲を弾いていたケンプは何を思ったか演奏の途中で、突然パッタリと演奏をやめるとスタスタと引っ込んでしまった。 そのあと、聴衆がシーンと見守る中、スタッフが何人か登場しケンプが弾いていたピアノを上手(かみて)に押して引っ込めてしまった。しばらくすると下手から違うピアノが準備され、セッティングが終わるとケンプが何事もなかったかのように登場して先ほどの曲を美しく演奏し、その後は普段のケンプのリサイタルのようにふつうに演奏が聴かれた。
この時、聴衆の誰もが「ケンプはあのピアノではとても不満で演奏不能なほど、我慢ならなかったので違うピアノに取り替えさせた」と思ったであろう。演奏を途中でやめた、と言うことを止まった、と思った人はほとんどいなかったと思う。そして「さすが音にうるさいケンプ」とか「歴史的な芸術家は妥協しない」等と感じた人もたくさんいたかもしれない。むしろピアノを取り替えてまでの演奏、という素晴らしいエピソードになったであろう。私もここまで聞いたときには「そんな昔でも東京文化会館には調律済みのグランドピアノが複数台もあったのか、日本も結構意識が高かったんじゃない……?」と即座に思った。
違うのである。ケンプは忘れたのだ。曲を……舞台裏ではきっと緊急事態が静かに起こり、即座に答えを出さねばならなかったであろう……想像すると冷や汗が出る。ケンプはこの一台のグランドピアノを舞台の表と裏を一周させている間に楽譜の確認をしていたという……こういう事はやはりケンプぐらいの大物にしかできないであろうし、単に優秀で素晴らしい演奏家の非の打ち所のない演奏、というよりもずっと面白味もあるし興味深い。プレミアム付きとでもいうものだ。 私はこの場に居てみたかったし、その状態を見たかったなぁ、と思っている。ただのヤジウマ根性といわれればそれまでなのだがそれがケンプだからこそ、それを見たかったわけである。
存在感のある人がステージに立つと、演劇の世界ではよく「ザワが来る」とか言う。
その人が下手から出てきて自分の立ち位置につくまでに客席からざわめきが起こるからだ。それは期待であり、憧れであり、感嘆であり、大多数の人間が同じ事を感じるから会場全体がざわつくのである。群衆の心が一つになる瞬間は鳥肌が立つほどの陶酔感があり、神秘的である。「ザワ」を起こさせるようになればその舞台人はカリスマ性が備わったと言って良く、それくらい聴衆は自分の心を捉える舞台人に敏感なモノだ。それは有名人とはちょっと違う。まあ重なっていることはとても多いけれど。(カリスマだから有名人になるのか、有名人だからカリスマ性を持つようになるのかはわからない。)
ケンプはまさにそういう人である。そういうケンプも人の子、ミスがある。そのときの判断と処理がまたふつうの演奏家と破格に違う、というそういう事がカリスマのカリスマたるゆえんであろう。 そしてその判断と処理にまた聴衆や観客がさらに引き込まれてしまうわけで、ミスの仕方にまでも魅力があると言うのが素晴らしいし人間的で嬉しくなる。
聴衆、観衆はカリスマは自分たちとは遠い人、と思いながらどこかで「やっぱり同じ人間なんだよね」と 共感したがっている。コンピューターやロボットが出てきて完璧な演奏をしたとてその感激は全く異質になる。この逸話でケンプはそういう期待に偶然とは言え、応えながらやはりカリスマ性は保っている。この辺が見事である。
期待を裏切らない、これも舞台人の大切な要素ではないだろうか。そのために出てきた状況をごまかしたとか嘘つきと思う人は少ないであろう。
やはりカリスマはいつまでもカリスマであり続けて欲しい。これからもたくさんのカリスマのステージからなにがしかのエピソードが覗けたら、と密かに願うヤジウマが一頭……。
音楽家にとっての耳って……
2015-07-28
音楽家にとっての耳って……
長野のリゾート地で毎晩イベントが開かれその夏はクラシックイベントの伴奏者としてそちらに滞在した。あこがれのソリストの伴奏でお食事はおいしいし、お部屋は小綺麗で空気も良い……言うことナシであった。
初日のステージの後、林の中にあるホテルから星を見るために小高い丘をソリストと一緒に歩いて上った。星の数は数えられないほどで彼女と私はもう真っ暗な中で感動的。風が涼やかで心地よい。「やはりこういうのがあるからこの仕事はいいのよね。」等と喜び合い満足してから丘を下った。
さて下りの舗装もされていない道路で私たちは交通事故の現場に遭遇した。事故にあった人はうずくまっており、やや暗い街路灯のなかでつらそう。「救急車を呼びましょうか?」「いえ、もう呼びに行ってくださった方がいるので……ありがとうございます」ということで付き添いの人も戻ってきたし、それ以上私たちがいても何も出来ないのでそのまま下ってホテルに着く前に、また眼下に夜景が広がるところで柵に体を乗り出すようにしながら「さっきの人大丈夫かしら」とか話していた。すると彼女が「あ、もう救急車が登ってきたから大丈夫ね」と言ったのだ!
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幼少の頃から私は耳の良さでは定評があった。中学生の頃から大学受験生のクラスに飛び級をさせられ、その当時からフランスの教材を使っていたから大学受験まで6年間はフランス仕込みのソルフェージュレッスンを受けていた事になる。(耳の訓練ではパリ国立高等音楽院の教材は有名)音の書取りのレッスンの時など昆虫が飛ぶ音すら「何の音!」とわかり過ぎてとても気が散った。実際に大学受験の書取は暗記してから書いた。それくらいだから自信も持っていた。それにあの夏はまだ20代だったし……
私は焦った……救急車のサイレンなんか聞こえない……彼女が業界で恐ろしく耳が良いのも有名だった。でも彼女に聞こえるモノが私に聞こえないはずがない。そんなはずは……両耳を横に張り出すかのように集中した……1秒、2秒……そう、3秒を過ぎてやっと私にもサイレンが聞こえた。何気ないようだがこの瞬間、私は冷や汗が出たのだ。音楽家になろうと思う者にとってこの3秒間は致命傷である。それを嘆くと彼女が「私のは動物的な耳ね。カオリンのは知的な耳。私にはその知的な耳が足りないから……」とのたまうのだった。この優しさは傷み入ったがこの体験は鮮烈であった。その後の音楽生活で私の耳がレベル的に悪いと実感した事はない。(これがすでにアブナイ?モシカして……)むしろ周りからはその逆として写っているようである。もちろん上はキリがない。(この程度の耳はゴロゴロしている業界だ) そう考えれば考えるほどあの3秒前からサイレンの音の切れっ端を耳でとらえた彼女は「ブっとんだ耳の持ち主」と言える……やはり私の耳は負けたのだ。
いくら人から「耳がいい」とか言われたってあの経験がある…… あれは私にとってのトラウマ……自分の耳が劣っていないという事を証明しないと安心できなかった。 この時以来ずっと音楽家にとっての耳というのを考えるようになった。
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動物的な耳、というのはオオカミなどの危険を察知したりする原始的な耳。闇の中から忍び寄る音等を瞬時に聞き取る耳であろう。多分周波数も幅が違った場所で聞こえることだろう。イヌ笛などは人間に聞こえない高い周波数を使う。こちらには何も聞こえないのにイヌは戻ってくる。
一方で音楽家にとっての「彼女の言うところの」知的な耳…… 例えば3人のコーラスでドミソの和音を歌う場合、何よりも和音のカラーを決めるミの音の人がとても神経を使う……。ミの高さ如何では長調であるべき和音が短調になってしまうからだ。つまり相手の音を瞬時に理解してから適切に反応する耳である。
あるいはピアニストがドミソの和音を弾くときに無意識にドが一番強く響き、その次にソが調和し、最後にミが柔らかく響くという各音の打鍵の圧力の違いを指に伝える作業を起こさせる耳である。それはバランス感覚の耳とも言える。和音を掴むときもトップの音(一番高い音)が一番響くと非常に澄んだ美しい和音が鳴る。これらは一見すると知的作業のようだが実は自然界の倍音の比率をそのままなぞる作業であり、わかりやすく言えば大きなトラックが通ると振動で窓やグラスまで振動してしまうというあれと原理は同じである。
自然界の法則をなぞるのにも知的な耳が必要なのだ。
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音が汚い、と言われる演奏家は大体耳が悪い。あるいは耳を使っていない。(書取りが優秀な人にもこういう人はたくさんいる)そんな耳で100回も練習された日には100回も汚い音を出す練習してくるのだから目も、いや耳もあてられない!世の中の演奏家に意外と練習のための練習をしている人が多いのも事実である。(彼らにとってのこだわりは「練習回数」であって「美しい音色」ではなさそう)知的な耳にとっては汚い音の経験は少ないに越した事はないのだが……
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本題に戻って……「知的」というからにはやはり知的な努力と学習が必要なのだ。それにはまず「きれいな音」の体験がないとムリなのである。それにはやはり生のステージ、それも美しい音色を出す演奏家の指、あるいは生の声が近く感じたり見たりできるところで聞き、見る事が一番の近道である。それと最初はその良い音と良くない音のバランスをすぐ側で判断してくれる人間(教師)に巡り会わねばならない。この先生探しがまたムズカシイ……この耳の訓練に関してはまた別の機会に触れることにしたい。
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さて、オオカミのように鋭い耳でなくても知性を備えた耳を持てれば音楽業界では暮らせる。と言うか逆にそれがなくては「オオカミの耳」だけでは使い物にならない。
「音が聞こえる」のと「音を識別する」のは違うコトなのだから!
学生の時からの仕事のキャリアも20年**になり自分は一応業界にいる。あの「3秒間」の一件がなければ「知性の耳」に敏感にならずに暮らしたかもしれない。今も大親友の彼女には心から感謝している。とは言っても欲張りな私はあの大御所の彼女のように「オオカミの耳」も「知性の耳」も欲しい、とあの時の事をまだ無念に思っている……シツコイ性格だなぁ、ホントに。そういうことでは人気者になれないヨ!ってか?(カオリンくつろぎのローカルモードに入る……)
* このエッセイは2003年に書かれたものです。
マナーとレッテル
2015-07-28
マナーとレッテル
人生には何度かとても恥ずかしい経験があるものである。若気の至りとか言ったりもする。これは20年も前のお話。
譜面を書く仕事についている割には几帳面な方だと思っている。現代音楽では新曲がよく当日まで間に合わなくて噂になったり出版会社を困らせたりする話が多いがそういう経験はほとんどない。マナーは守りたいと思う方である。
最も気心の知れた友人にジャズのミュージシャンがいる。彼は元はマネージャー業に従事していたが知らぬ間にミュージシャンの夢を実現していた。実は将来自分が事務所でも持ったら彼に付き人(秘書)になって貰おうと密かに考えていたが、彼の方がシッカリ忙しい売れっ子になってしまった……全く経済力の無い自分にでもそんな事を考えさせるほど彼は人の欠点をふわっと目立たないようにカバーする素晴らしいヤツなのだ。何しろ本能的に時代を先取りする目や鼻を持っているのは尊敬に値する。
シューちゃんとここでは呼ぼう。彼とは仕事が縁でもう15年来の付き合いだが多くて年に二回飲むか飲まないか、ちょっと間が開くと2年くらい合わなかったりする。現在の音響機材やらパソコンの知識やらの導入は、全て飲んだ時にチラリっと彼の口から出た言葉を頭に入れ後に必ず手に入れた結果である。「カオちゃんも今に自分のオフィシャル・サイトなんか持っちゃうんじゃないの?いずれさぁ……」と言われてから二年後にやっとそれも実現した。
あれはいつだったかなぁ、飲む約束をしたそれよりもずっと前に仕上がるハズの作品が長引き、待ち合わせの日の午後にやっと完成。もうただただ、その日は自分の御褒美の「酒」になっていた。シューちゃんという御仁は酒豪を絵に書いたようで、その当時は私も良く飲んだので二人でワイン2本はすでにいってマシタ……
ちょっと化粧室へと立ち上がった途端に来マシタねぇ、あれれ?酔ったのかなってね。フラつきながらやっと化粧室に辿り着いたらもう限界、ご想像通りです。みっともないですねぇ、ハイ!
******************
どれ位たったのだろう、目がさめたら個室に腰掛けたまま意識が戻った……「あれ?ココって……」と思った瞬間正気に戻った!目を覆いたくなる悲惨な環境。あたりの掃除しなくちゃと行動しはじめたのと同時に「カオちゃん、おい、いるのか?大丈夫か?」ヤッバーイ!そうだよね、独りじゃなかったのよねぇ、と思いながら洗面所の様子も整いもう少しで外に出られる……アイツは大きな声で「カオちゃん、早く出て来てほしいんだヨ」……以前から思ってた、シューちゃんは本当に優しいよね、女性トイレの前で大声出すのだけだって恥ずかしいだろうに心配かけちゃったナ……と思った途端「みんな入れなくて困ってンのよ。頼むよ。」であった。「ソッチ?」ああ情けなヤ、三十路女の醜さよ。の巻きになってしまった。
これにまだ続きがある……飲むって言うのにアイツは何故か車で来ていてアトリエ(仕事場)まで送ってくれた。やっと落ち着いて話もできるようになっていた私はアトリエの前で車から降りた。やはり彼も降りて来て助けてくれているところへあろうことか、大きなコリー犬を連れて散歩している父が通りかかったのである。父の家とアトリエは割と近い、近いには近いが寄りにもよってこんな時に……重なる時は磁石のようにピタッと重なるのよねえ、全く……
シューちゃんは180センチ以上はある大男で髪の毛は腰まである「ロン毛」である。それをいつも一つに結んでいる。それだけでも目立つのに助け起こされながら歩いているのが娘だったわけで、あちらの方がフリーズしていた。丁寧に紹介したのだが「どうぞ、ごゆっくり」とかワケのわからない事を早口に言うが早いか即座にその場を去った。なんでこんな時間にごゆっくりなのかわからないが、父の狼狽にはこちらも緊張した。
やはり寝不足の翌日と安心できる御仁と御一緒する時はたしなみが大切と、もうとっくに遅いけど痛感した。マナーですよね、マナー!この一件以来どうも父には素行が思わしくないというレッテルを張られた気がする。まあ一緒に暮らしてるわけでなし、もう大人だし、でも父の夢を壊して悪かったなとは思う。父親にとっては中年にさしかかった娘ではあっても大原麗子のように「ちょっと愛して……長く愛して」とか八千草薫のように「あなた、ハァーッしてみて!」というような可憐さがあって欲しいであろうから。
でもね、もっと悲しかったのはアイツにレッテルを張られた事!ごく最近大勢で飲む機会があった。彼と私は別の仕事で一緒だったので二人揃ってその店に早くついてしまった。店に入る前に「オイ、今日は吐くなよ!」である。ちょっとォ、そこまでハッキリおっしゃらなくてもォ、第一さぁ現場を見たわけじゃなし、いえ、反省してますデス、ハイ。考えたら一番気の毒なのは「優しい」というレッテルを張られているがために友人を見捨てられなかった、シューちゃんだったかも…… これからもずっとお友達でいてね……
この辺りを境に自分の事はオフィシャルに「ワタクシ」と言うようになり気品ある振る舞いを日々心がけるようになる。それなのに未だに「下ネタ・カオリン」と呼ばれてしまうので関係者に「シモネッタ・カオリン」とイタリア系に発音し直して頂いている。
プチ・ブルジョワの感性
2015-07-28
プチ・ブルジョワの感性
ある土曜日の昼下がり、クラシック音楽のコンサートチケットを戴き、知り合いをお誘いして四ツ谷にある素敵なホールに出かけた。 今回のコンサートは世界的に有名な化粧品会社が新たな香水の発表を記念して開いたコンサート。ミラノから素晴らしいソプラノ歌手を迎えて、一緒にあちらで活躍していた日本人のテノール歌手とフラメンコのダンサーとのジョイント、という設定になっていた。
会場についてわかったが、テレビでおなじみの有名人やその婦人方がかなり目立ったし、 これでもかというくらい皆さん着飾っていてエルメスのケリーバッグやシャネルのそれとわかるものがあちこち目に付いた。コンサートホールに入ってさらに驚いたことは会場全体が香水臭い、という事である! こんなのは自分の音楽生活の中では生まれて始めてのことである。 不思議な感覚のまま席につくなり、コンサートが始まる前に主催者側から「ご挨拶」なるものがあり、あるパリコレなどで活躍している有名なファッションアドバイザーが登場した。 美しく理知的。確かフランス語も堪能なはずである。 そのアドバイザーがおっしゃる事には「プリマ(ソプラノ)が病気で来日できない」ということであった。
またまた驚いてばかりなのだが、そのアドバイザーの声はマイクを通しても聞こえないのである。確かにあるクラス以上の社交界では大声を出すことはマナー違反であり、はしたないことということくらいは私だって知っている。それにしても聞き取れないほど!なので気取って見える…… まして、彼女は左肘を折り曲げて、マイクを持った右手の肘を掴んで話している。 ご想像いただきたい……ほとんど腕を組むような姿勢になるのがお解りであろう。これはボディーランゲージでは「拒絶」を意味するわけで、ステージで主催者側がそんなにエラソウな事は私には信じられないことである。 それでもってアドバイザーは「皆様にここでお詫び申し上げます」とおっしゃってる…… これがあの「婦人画報」などで「美しいマナー」とかナンとか連載なさったりしている御仁なのかと目も耳も疑った。
結局プリマの代役はなし、つまり主役なしのまま押し切った演奏会なのだ。 ここでお隣で黙っていた私のゲストは「ほほー、こんなのは前代未聞だなあ……」と低くつぶやいた。 彼は日本の音楽界ではオペラ歌手のプロデュースやマネージメントをしてきた人である。音楽界でドタキャンの手配の大変さは痛感してらっしゃるであろう。重い言葉デシタ。
イヤな予感で始まったコンサートはすぐさま「案の定」という展開になっていった。テノール歌手のソロリサイタルという形に変わったこのコンサートは、私の中で魅力ゼロ、というかマイナスにまで達しつつあった。テナーの彼はもちろんきちんとした基礎をもった歌手であったが、声が痩せていて魅力に乏しく、ミラノで活躍していたそうだが、いかにもミラノらしい歌い回しがウマイだけで長く聞いているとなんとなく「嘘っぽい」感じ。それにもう高音になるとキツそうで声がでない……気の毒なこと。ピアニストがテナーを休ませる為であろう、いきなりピアノ・ソロが加わった。曲目はエリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴー」それほど難儀な曲ではない。
もう何回驚いたかなあ、ふっとステージに目をやって驚いた!! ピアニストが譜面をめくっている!つまり暗譜してないのである。音はやや平たく響きが少ない……それでもってお餅でもこねているように、へんてこりんなリズムで弾いている。もう絶望的な状態である。現代曲で大変でとか、長くて、とかいうのならわかるが、たかが5分程度のものが覚えられないのはプロとして最低である。いかにプリマの急病といっても来日がだめになったのが分かってから一週間以上もあったのだ。 そうでなくてもプロは基本的に「ここで?分くらいのソロが欲しいんだけど」と言われたら、それが明日であろうとあと数時間後の本番ステージであろうと、すぐに弾けるものである。少なくとも私の友人の演奏家は、著名な人も中堅の人も全員そうである。もちろん楽譜なんか見るはずもない。 プロのレパートリーは何百とあるのだから。
でもね、時々タレントさんになりすぎて、そういう人もいるんデス。中にはネ。でもね、そういう方たちはステージに登場しただけで「華」がありすべてを聴衆が許してしまう、というばかりでなく魅了されてしまう、そういうカリスマ性をお持ちなのデス。それはやはりタレント(才能)だと思うから立派な舞台人だと私は思って尊敬している……。
今回のステージはただ一人として「華」のある人がいなかった。これもプリマがいないからなのか、 とても残念であった。休憩に入ったとき「このまま聞いていても何の変化もないんでしょうねえ」と彼が 言い出したのがきっかけで、私たちはホールを後にした。 クロークで荷物を出す際、また彼が言った。「しかし私たちしか帰る人がいない、というのも不思議ですね、やはり日本人だからでしょうか」と……
その後、四ツ谷から市ヶ谷へ抜けて線路を下に見ながら私たちは何とはなしに歩いた。 小さな公園が細長く続き、木々は春の訪れを感じさせていた。 私はこういう気性なので歩く道すがらずっと憤慨していたが、木々の香りや、足の裏の柔らかな土の感触でだんだん気持ちが納まってきた。となったら今度は情けなくなった……
何にって?クラシック音楽を支える市場にこの人たちも入っている、という現実にである。(これは主催者側を含めて)
日本の音楽界では演歌はきちんとした市場になっていると思うし、ポップスは洋楽・邦楽取り混ぜてやはり活気があると感じるし、時代を通してファン層が育っている。がしかし、クラシックは「ちょっとすまして着飾って」とか形が優先する感覚がまだ残っているかもしれない。 今回のコンサートにしても「聞きたいから」会場にいらした方が非常に少なかったのはもうお解りであろうが、そうであっても提供する側が本当にヨーロッパの伝統を伝えたいなら、きちんとした姿勢で本物志向で臨むべきであろうし、それが同時にその香水会社のステイタスを守ることにもつながったであろうに……
音楽は突き詰めれば「好きか嫌いか」であって「おつきあい」や「ステイタスのため」にあるのではない事は、ジャンルを問わずはっきりしている。上質かそうでないかはその後の話しである。
今回のコンサートはそれ以前のレベルである。虚飾のために、クラシック音楽が材料にされるのは非常に悲しい。それも高級そうに呈されていて実はその中身なんかホドホドで良い、という主催者の姿勢は不思議と見えてしまうものである。そしてその事すら感じられていないお金持ち(プチ・ブルジョア)は「悲しい」を通り越して「滑稽」だと思う……
ブティックで本物を身につけないと気が済まないとおっしゃるなら、音楽も本物を求めて欲しいし、音楽を聴く心もどん欲に開いて「豊かな感性」になって欲しい、と思った。そして世界一の香水を作り出すと自負する会社なら、誠意のない興業は自社のステイタスを下げるだけである事に気付いてほしい……
しかしさらに冷静になってみると「こんなに憤慨する事もなかったカナ」とも思える。さっきも述べたように音楽は突き詰めたら「好きか嫌いか」なのだ。この日の音楽に共感できなかっただけ。さらに主催者と客層がやはり好みでなかった、こう思えば落ち着くんだなぁ全く……こうやって私は大人になってゆくのデシタ。
ケータイがあれば
2015-07-28
ケータイがあれば
友人を迎えに駅まで車を運転していた。雪が降り始めていたが、今日は久しぶりにこちらに遊びに 来てくれる。雪はこのままだとすぐやみそうだし積もりもしないかも。でもチラホラと粉雪が舞っているのは寒さとは別に美しい。
もうすぐ駅、という手前で踏み切りにひっかかってしまった。この辺りでは有名な「開かずの踏み切り」 ひっきりなしに電車が行き交う。これでは相当彼を待たせてしまう…… ハンドブレーキを引いてからケータイを手にした。「もしもし?ワタシ。もう駅の手前なのに 踏み切りに引っ掛かっちゃって、エッ?そうなの?……ウン、もう少し待ってて。じゃあね」これで、踏み切りの手前で待たされているイライラからは解放されてしまう。 窓の外をぼんやりと眺める余裕までできてしまったし、相手の怒りだって半分くらいは 減っているかも知れない。コミュニケーションが大切なのは今さら言うまでもないが、同じ遅刻であっても相手の状況がつかめていれば 長時間待っても我慢のしようがあるのだから、人の心はファジーに出来ている。
「来るか来ないかわからない」状態で待たされていると妄想がしだいに大きくなり、イライラから不安、 不満、はては憎しみ、絶望にまでなってしまう事もある…… 状況が同じでも心の持ちようで、事実はいかようにも形を変えて受け取れるわけ。
ずうーっと昔に映画で「哀愁」というのがあったっけ。 主人公の踊子マイラ(ビビアン・リー)と将校のロイ・クローニン(ロバート・テイラー)の、 戦争というまさにコミュニケーションの遮断ゆえに生まれた悲劇だった。
製作されたのは1940年代、舞台は戦時下のロンドン。ウォータールー橋でふとしたきっかけで出逢い、ほんのひとときを空襲を避けるために避難所の中で過ごした身寄りのない二流バレリーナのマイラと 名門の青年ロイは恋に落ち、その後結婚の約束をするが折も折、彼は戦地に赴かねばならない。
彼を見送ってから踊り子としての仕事はほとんどなくなり生活にも困窮していくマイラ。プライドの高い彼女は彼に言われたように彼の実家に金の無心に行くことができない。仲間の踊り子たちは皆、娼婦へと転身していく。彼の帰りをひたすら待ちわびるマイラの目にロイ・クローニン戦死の記事が飛び込んでくる。 彼からの手紙も途絶えていたマイラは絶望ののち元仲間と一緒に、生きるために兵士たちが帰ってくる駅に客を求めて立つようになる。
そんなある日、駅に下り立ったロイとマイラは再会してしまう。新聞記事は誤報であった…… 何も知らないロイはマイラが毎日彼の帰りを信じて駅に自分を出迎えに来てくれていたと誤解する。喜びいさんで郷里に彼女を連れ帰り婚約披露し、結婚の準備をするが、真面目でひたむきなマイラは 「名門・名家」の重みに自分の忌わしい過去を葬る事ができない。日に日に暗く影を落としていくマイラ。そしてロイの名誉を傷つけまいと、ついにウォータールー橋で車に飛び込んでしまう。すべてを知ったロイはそれでも彼女を受け入れるつもりだったのだが……
何年も経ってのち、初老の将校ロイ・クローニンがウォータールー橋を通る際に橋に降り立ち、 運転手を待たせたまま霧深い中でマイラからの贈り物だった小さな人形のお守りをにぎりしめ、涙をにじませてたたずむシーンは恋愛至上主義の人でなくても涙をそそるものがある。マイラの純粋さ、ひたむきさは娼婦を経験しても変わる事なく「あの戦死の記事さえなければ」と皆思ったはずである。
当時の情報量の少なさと伝達の遅さから考えると、今ではそのような事が考えにくいほど情報は溢れかえり 正確さが向上し、スピードは光の速さが当たり前になろうとしている。こんな便利な世の中であったら、あんな悲恋物語は生まれないのかもしれない。
便利とは考えるに、色気や情緒からは 遠い事であるのかもしれないナ、と思う一方で、ケータイなどで送られてくるSNSメッセージに胸がキュンとなり一瞬にして二人だけの世界に入る事ができてしまうという今日のスタイルも現代的にロマンティックではある。
それぞれの時代で、それぞれのスタイルで恋は形を変えながら存在し、時にはそれによって翻弄されて しまうのが人間なんだなぁ……なんて考えていたら踏み切りの遮断機が上がった。さあ、友だちの待っている駅へ急ごう!
不便な踏み切りだけど、こんな事をつらつらと考えられる時間というのもおつなもの?かもしれない。